ルーベンスの庭で~ベルギー生活記

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アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねて

クラクフ周辺には、旧市街以外に2つの世界遺産があります。

一つはヴィエリチカ(Wieliczka)岩塩採掘場、もうひとつは世界的に有名な負の遺産、アウシュヴィッツ強制収容所跡地です。

今回はアウシュヴィッツ博物館を訪れることも目的だったので、ヴィエリチカはスケジュール的に断念。

"アウシュヴィッツ(Auschwitz)"というのはドイツが占領した時にドイツ語名に変更したもので、実際の地名は"オシフェンチム(Oswiecim)。
クラクフから電車やバスで1時間半の場所です。

クラクフからアウシュヴィッツへは英語のガイドツアーなども出ているのですが、私達は博物館の日本人専属ガイドである中谷剛さんに事前に連絡を取って、ガイドをお願いすることにしました。

クラクフ中央駅を8時25分に出るバスに乗って揺られること1時間半。他に参加された日本人の方と一緒にガイドツアーの始まりです。

IMG_9146.jpg

この日は大勢の見学者が来ていて、入場制限もあるくらいでした。中谷さんのお話だと、年々見学者の数は増えているそうです。

先ずはアウシュヴィッツ第一収容所から。

IMG_9148.jpg
収容所入り口のゲートに掲げられた"ARBEIT MACHT FREI"(働けば自由になる)のスローガン。ドイツ国内にある他の強制収容所でもみかけるものですが、ここではよく見ると"B"の文字が上下逆さまに。
これを作らされた収容者の抵抗の証だともいわれているそう。
2009年12月に盗まれて切断されてしまったので、現在掲げられているのはレプリカ。

IMG_9156.jpg
整然ときれいに並ぶ収容棟と厳重に張り巡らされた高圧電流の流れる有刺鉄線。

棟の内部では収容された人々の生活や、没収された生活用品、おびただしい数の靴や切り取られた髪の毛などが展示されています。その数はあまりにも多いので、展示されているものでもほんの一部だそう。
ご遺族も多く訪れているというので、やはりそういう展示にカメラを向けるのは憚られました。
(なので、ここでの写真の掲載は少しだけ)

収容者の写真を全て撮って記録したり、過酷な労働を強いながらも一方では労働を維持させる程度の衛生状態を保つために水洗トイレを完備させたり、また収容者をユダヤ人、政治犯、ロマ(ジプシー)等と区別させて暴動が起きないような仕組みを作るあたりが、きちんと計画を練って規律を作るドイツ流というべきか・・・。

私達にとってナチス・ドイツの強制収容所(KZ:Konzentrationslager)はここが初めてではありません。
ドイツ滞在中に、ドイツ国内に残るいくつかの収容所のうち、ザクセンハウゼン、ブーヒェンヴァルド、そしてアンネ・フランクが最後を迎えたベルゲン・ベルゼンという比較的大きく犠牲者も多かった収容所も見学しているでの、どういうものかは知ってはいました。

ただこのアウシュヴィッツは第二収容所(ビルケナウ)と、今は取り壊された第三収容所も含めると世界最大。
特にビルケナウは「ユダヤ人絶滅計画」という口にするのも恐ろしい名のついた計画の為に造られた最悪の強制収容所です。

IMG_9177.jpg

今は一部除いて暖炉の煙突のみが残る敷地ですが、当時は300以上のバラックが建ち、それにも収容できない程の人達がこの地に送られたというので驚きです。

こちらには実際に使用されていたバラックが残っています。
初めのうちはレンガ造りだったバラックも後半は簡素な木造になり、3段ベッドに藁を敷いただけ、簡易な暖炉があるものの、?20℃にもなることもある真冬には相当厳しかったはず。

IMG_9175.jpg

「死の門」と呼ばれる入り口ゲートから、多くのユダヤ人達が送られてきました。
実際に使用された貨物列車も一両残されていますが、何十人もギュウギュウ詰めにされ、『東へ行け』と聞かさただけの彼らは、この地に到着した時、何を想ったのでしょうか。

この日も多くのイスラエル人学生が慰霊に訪れていました。
イスラエルの国旗を手に掲げたり身体に巻き付けて、「安らかに」とヘブライ語で書かれたロウソクや花束を置いていくのです。

ここに来る人は様々です。
立場によって感じること、考えることは違うと思います。

私自身も、いろいろな「なぜ?」が頭に浮かんで考えてみるけれど、答えを出したり言葉に表すのはとても難しい。
今までヨーロッパに住み、各地を旅してきて感じたこと、ヨーロッパの歴史、民族や宗教、国籍、祖国とは、日本のこと・・・

そして決して自分とも無関係ではないということ。
どのような立場であれ、もし自分が極限の状態に置かれたら、どんな行動を起こすのか。

ひとりの人間として、心の中に問いかける時間でもありました。

IMG_9205.jpg

博物館の詳しい情報はこちらをご覧ください。⇒公式サイト


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激動のポーランド

JJ様 こんにちは!
朝夕は冷え込んできましたが、昼間は25度前後と、
ようやく過ごし易い神奈川です。
JJ様のクラクフ、アウシュビッツ記事にタイミング良く、3日はBSフジで欧州鉄道の旅・ポーランド、8日はBS朝日で激動の国・ポーランドが放映されましたよ。
クラクフについては、17世紀にワルシャワに首都が
移るまではウイーン、プラハと並ぶ大都市であったこと、ドイツ軍司令部があったために、被害を受けずに済んだことでまるでタイムカプセルの中のような古都と解説してました。
BS朝日の番組はグダニスク造船所労働組合・ワレサ連帯委員長らが東欧で最初に、共産主義体制下からの開放運動、そして、アウシュビッツ強制収容所内を詳しく撮影したビデオを放映しました。偶然、JJ様の6枚目の写真と同じ光景から、始まりましたね~(笑)。
JJ様のご所感、「自分とも無関係ではない・・」と書いておられますが、仰る通り!ですね!1940年、日本政府は、「日独伊3国同盟」をヒトラー、ムッソリーニと結んで他の欧米国と戦おうとしていた歴史的事実は、日本人でしたら誰でも教科書で知る事柄ですね~。今夏、広島・長崎にアメリカ大使が初めて慰霊に訪れました。人類の歴史で最大の悲劇、アウシュビッツも、広島・長崎の悲劇も、2度と絶対に繰り返さないために、日本人が,旅行者がアウシュビッツを訪れる意義は大きいと想います・・・
中世のEUがそのままの古都クラクフ、人類最大の悲劇アウシュビッツを近いうちに訪れてみたいですね!
好い週末を(^0^)


フロイド | URL | 2010/10/10 (Sun) 02:03 [編集]


フロイドさま

こんにちは!
日本でもポーランドに関するテレビ番組が放映されたとは、グッドタイミング!(笑

背景は異なりますが、このアウシュヴィッツのように罪なき一般の人々が大勢犠牲になったという点で、広島や長崎とも重なりました。

今年はちょうど第二次大戦終戦から65年、ドイツ統一20周など、この辺りの地域にとっても節目の年でもありますね。
クラクフも素敵な古都なので、機会があれば是非訪れてみてください。

JJ | URL | 2010/10/10 (Sun) 22:45 [編集]


 
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